お正月の松の内の意味や由来!関東と関西で期間が違う理由とは?
お正月に入ると「松の内」なんて言葉を耳にしたことがありませんか?
お正月と松の内は似たような意味ですが、ちょっと違う物です。
松の内はお正月期間の目安として使われることも多いのですが、
今回は松の内の意味や由来についてご紹介したいと思います。
ちょっとした知識ですが知っていると生活の切り替えなどにも
役に立つかもしれません(^_^;)
松の内の意味や由来は?
松の内とは、新年になって迎えた神様にお家に滞在してもらう期間を指します。
門松なんかもそうですがお正月の”松飾り”を飾っておく期間の
ことを言います。
ちなみに松が正月飾りに使われる理由は
神様を”待つ”、神様を”祀る”
という言葉からきていると言われ、年神様(神様)が家々に
やってくる際に目印になると言われています。
その歴史は古く、平安時代の頃から行われている歴史ある
習慣なんです!
松の内の期間は?関東と関西の違い
松の内の期間についてですが、かつては関東も関西も1月15日とされていましたが、関東では江戸時代に1月7日までと短縮されたという歴史があります。
関東では6日の深夜、もしくは7日早朝にお正月飾りを外します。
ちなみに関西になると14日深夜か、15日早朝になります(^^)
この「松の内」の期間が特に「お正月」と捉えられることが多く、
新年の挨拶や、年賀状もこの松の内にやりとりする事がマナーとされています。
松の内が関東と関西で違う理由は?
江戸時代に関東では松の内の期間が短縮されたと書きましたがその理由は何でしょうか?
それは、徳川家光の命日に関係しています。
江戸幕府の3代将軍・徳川家光は1651年1月20日に亡くなりました。
実は、この1月20日は「鏡開き」という神事がある日なのですが、
「将軍の命日に鏡開きをやるのは良くない!」とされ将軍のお膝元
である江戸を中心とした関東では鏡開きの日が1月11日に変更されました。
鏡開きは松の内が明けてから行うものなので、これに合わせて松の内も
15日までだったものが7日までに変更されたそうです。
どうせなら全国で変更してもらえればややこしくなくてよかったんですけどねぇ(^_^;)
江戸時代は江戸が政治の中心、大阪が経済の中心という役割分担が
なされていた側面もあるのでそういった時代背景もあるのかもしれませんね。
最後に
お正月といっても、調べてみると結構色々な細かいしきたりがあってとても興味深いものです。
お正月の意味や由来を知ると、飾り付けや初詣にも力が
入るんじゃないでしょうか(^^)??
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タグ:松の内の意味と由来, 鏡開き, 関東都関西の松の内の違い